education x innovation

〜キャリア教育で子供の未来を創造する〜

勉強と学問の違い

「この勉強は何の役に立つの?」

 

誰でも子供の頃に一度は考える疑問。勉強しんどいし、出来ればやらなくていい理由が欲しい。そして、ほぼ全ての子供はその答えを誰かに求める。親だったり、学校の先生だったり。でも得られる答えは「勉強したらいい学校に行けて、いい仕事につけるよ。」とか、中途半端に「~~に役に立つ(例えば算数なら買い物の時役に立つとか)」という範囲の狭い限定的な答え。自分も正直そんな子供時代を過ごしたから偉そうなことは言えない。

 

ここで「勉強」と「学問」の違いについて考えると色々見えてくる。

 

「勉強」とは「勉めることを強いる」と書く。つまり「強いられている」わけである、他人から。そんなものが楽しいわけはないし、強いられているので、出来ることならやめたいと思ってしまう。

 

「学問」とは「問いを学ぶ」と書く。つまり「問いを立てて、答えを見つけることで学ぶ」のである。「勉強」との決定的な違いは「人から強いられる」のか、「自ら問いを立てる」のかである。

 

これは最初の「勉強は何の役に立つの?」という子供が抱く疑問でも同じことが言える。一応、自ら問いを立てているのだが、勉強は人から強いられたものなので、強いている人、つまり親であったり先生であったり、に答えを求めてしまう。しかし、これが学問ならどうだろう。自ら問いを立てて学ぶのが学問だから、もし「学問は何の役に立つの?」という疑問が浮かんだら、その答えは自分で見つけることになる。しかしそもそもそのような疑問は浮かばないだろう、自ら目的を持って学んでいるのだから。そしてそう、ここにも決定的な違いがある。

 

「勉強」には目的がなく、「勉強」そのものが強いられた目的なのである。

 

「学問」は自ら見つけた目的を達成する手段である。

 

小生の目指す教育はここにある。「勉強」から生き方を学ぶようなことを教えるつもりはないし、そもそも教えない。子供たちが自発的に学ぼうとする姿勢や気持ちを育み、学びそのものや、何を目的にし、そのために何を学びたいのかを見つける手助けをする。そして一緒に学ぶのである。学びを教えたりせず、ただ様々な情報をわかりやすく伝え、そこから何かを学び取る機会をたくさん与える。子供たちはそれぞれ同じ情報から違うことを学び取るだろう。それでいいのである。これを聞いたから、そこから学ぶべきはこれ、と言うことはしない。それは「勉強」である。この違い。

 

この違いをしっかりと押さえながら、キャリア教育に発展させていきたいのである。つまり将来のなりたい姿、目指したい姿を描けるような情報にたくさん触れてもらい、そこから何か響くものを感じ取って未来の自分を描く。そしてそのために必要な学びは何かを見つける。見つけられないときは、そういったものを例示してあげる。結果として「勉強」を頑張ろう、と考える子供もいるだろう。それはそれで構わない、なぜならこの時「勉強」は手段となっているのだから。

 

実はこういったことはもちろん子供たちに理解してほしいのだが、今の世の中を考えた時、親御さんにもしっかりと理解してもらいたい。子供がいくら理解していても、親が子供の考えを肯定しないと、結局「勉強」に走ることになってしまう。だから親に対しての教育も必要で、このギャップをどうやって埋めるかをずっと悩んでいたのだが、嫁との話の中で浮かび上がってきた「飲食店と教育のコラボ」は使えそうだと考えており、今はこの方向で固まりつつある。

 

ところで『「勉強」とは「勉めることを強いる」であり、「学問」とは「問いを学ぶ」ことである』というのは人からの受け売りなのだが、これを聞いた時、それまで小生の中でモヤモヤしていた何かがはっきりと解った。その結果、小生がキャリア教育を目指そうと思ったのである。これには本当に感謝している。