education x innovation

〜キャリア教育で子供の未来を創造する〜

私が考える「キャリア教育」

前回は文部科学省がまとめている「キャリア教育の手引き」から、キャリア教育、あるいはキャリア、キャリア発達の定義や、文科省が考えるキャリア発達のために必要な「基礎的・汎用的能力」などについて簡単にまとめてみた。今回は、この「キャリア教育の手引き」にまとめられている学校での取り組みなども参考にしながら、小生がどのようなキャリア教育を提供していこうと考えているのかをまとめてみたい。

 

文科省が定義するキャリア教育は「一人一人の社会的・職業的自立に向け、必要な基盤となる能力や態度を育てることを通して、キャリア発達を促す教育」であり、キャリアとは「人が、生涯の中で様々な役割を果たす過程で、自らの役割の価値や自分と役割との関係を見いだしていく連なりや積み重ね」であることは前回書いた通りである。そしてキャリア発達とは「社会の中で自分の役割を果たしながら、自分らしい生き方を実現していく過程」である。これらをベースにして、小生の言葉でキャリア教育を定義すると、

 

「社会や他者との関わりの中における自らの役割を見出し、あるべき姿=アイデンティティを確立する力を身につける」

 

となる。

 

では、この「アイデンティティを確立する力」はどのようにすれば身につけることができるのだろう。これには「基礎的・汎用的能力」から考えていくと良さそうである。

 

「基礎的・汎用的能力」には4つの能力があり、それらは、「人間関係形成・社会形成能力」「自己理解・自己管理能力」「課題対応能力」「キャリアプランニング能力」である。もちろんこれら4能力は相互に補完しあうわけであるが、この中で小生は「課題対応能力」に注目したい。

 

「キャリア教育の手引き」では「「課題対応能力」は、仕事をする上での様々な課題を発見・分析し、適切な計画を立ててその課題を処理し、解決することができる力である。」としている。実は、小生が読んだ限りにおいて、課題の「発見」と「分析」に言及しているのはこの部分だけであったように思うが、これらは非常に重要と考えているし、もっと言えば「課題対応能力」と1つにまとめるのではなく、「課題発見能力」、「課題分析能力」、「課題解決能力」の3つの能力としてもいいぐらいである。そしてその前段階のものとして「問いを立てる能力」がないといけない。では、なぜ小生はこれらを重要視しているのか。「基礎的・汎用的能力」の他の能力、例えば「人間関係形成・社会形成能力」を取り上げて考えてみる。

 

「人間関係形成・社会形成能力」の定義は「多様な他者の考えや立場を理解し、相手の意見を聴いて自分の考えを正確に伝えることができるとともに、自分の置かれている状況を受け止め、役割を果たしつつ他社と協力・協働して社会に参画し、今後の社会を積極的に形成することができる力」となっている。この中の「多様な他者の考えや立場を理解」するとは、なぜ他者はそのような考えをし、それはその人の立場とどういう関係があり、自分とは何が違うのか、といったことを理解することであるが、ここで「なぜ」という言葉が出てくる。これが小生の言う「問いを立てる」ということである。ただ単に「ああ、この人はこういう風に考えるのか。理解した。」では本当に理解はしていない。ただその人の考え方を「把握」しただけである。「把握」しただけでは課題も発見できないし、いずれ顕在化するかもしれない問題に対処もできない。「なぜ=問いを立てる」ということはそれほど重要なものであるにも関わらず、周りを見ていてもこの「なぜ?」という問いを大事にする人が少ないと感じている。

 

従って、小生の考えるキャリア教育では、まずこの「課題対応能力」を育み、そのために「問いを立てる」クセをつけることから始めていきたいと考えている。

 

「手引き」には学校での取り組みについて、具体的なところまで掘り下げ教科とも絡めながら、学校としてどのような目標を立て、計画していくのか、どういう点に注力し、どういったところに注意すべきか、などが具体例と共にまとめられている。また、家庭や地域との連携の重要性と、それぞれにどのような役割が期待されるかも具体例と共に述べられている。しかしこれらは全て例であり、結局のところ「それぞれの学校・地域等の実情や、各校の児童生徒の実態を踏まえ、学校ごとに育成しようとする力の目標を定めることを前提」としているのである。つまり、内容は学校がそれぞれ独自に考えるということである。

 

また、「手引き」には、キャリア教育においても、各学校の目標及び育成する能力や教育内容や方法などとの関係から、児童にどのような力が身についたのかを明確にするために、適切な評価をすることが必要である、としている。そしてキャリア教育の評価の機能としては、教師が通知表や指導要録などに記載し証明するとともに、常に児童の学習状況を評価することにより学校の指導計画と自らの学習指導の改善に役立てること、さらに、児童が評価を生かして自らの学習の改善に役立てること、という二つを重視したいとしている。確かに学校における教育である以上、評価することは必要であり、行っているキャリア教育が本当に有効なのかを見るには、児童の力を評価すればいいのもよくわかる。しかし……

 

先に述べた「基礎的・汎用的能力」には当然個人差はあるのだが、ここに私は優劣はないと考えている。「問いを立てる」能力は皆、等しく持っているはずであり(幼児を考えて欲しい。「なぜ?」「どうして?」を連発され困ったことがあるだろう)、違いがあるのはそれを使えているかどうかであり、使う練習をするだけでよいはずである。そしてこの「問いを立てる」ことをうまく使いながら、4つの能力を育てていくわけであるが、児童それぞれ得手不得手はあるはずだが、ではそれは「優れている」、「劣っている」とするものなのだろうか?キャリア教育によって得られた能力を評価し、それを学習の改善に役立てる、つまりそれは国語や算数の点をよくしなさい、ということなのか?国語や算数の点がよくならないのは「基礎的・汎用的能力」が足りないから、という評価になってしまわないか?小生は一人一人の「基礎的・汎用的能力」に違いはあっても、それは優劣というところに持っていくべきではなく、その違いは尊重しなければならないと考えている。

 

以上、ややまとまりに欠ける内容になってしまったが、小生がやりたいキャリア教育は、「基礎的・汎用的能力」を育むプログラムを児童一人一人にカスタマイズし、それを親とも連携する形で行っていきたいと考えている。

 

これをどうやって作っていくのか。当然素人の小生がそのようなプログラムを作れるはずがない。これについては、今、色々と思案中である。